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時代遅れ

1000円/月の有料記事の宣伝か読者勧誘でしょう。下記の記事をWEB上で(勿論無料で)読みました。執筆者はかなり名の通った経済の専門家で数多くの著書があるようです。

その記事は、
『たとえ白紙撤回の動機が、安保関連法案を強行採決して急落した内閣支持率を取り戻すためであっても、とりあえずは安倍晋三首相の決断を評価したい。
 新国立競技場は、「戦艦大和」になるところだった。空母主体、機動力重視が世界の潮流だったのに、国の威信をかけ、造船技術の粋を集めて大和を建造。しかし、大鑑巨砲は過去の遺物となり、"見せ場"を作れないまま、「お国ために何かやらせろ」という無益な空気に流されて出撃、撃沈した。』

この程度の認識しか持たない執筆者の記事を1000円/月も出して読んでいる方々は本当にお気の毒としか言えません。

『空母主体、時代遅れの戦艦大和』 ですか!!!!! いつの時点の話でしょう。

『大和・武蔵』の就役時は、当時の英米が保有する戦艦を遥かに凌駕する世界最大(満載排水量7万3千トン)・最新鋭の戦艦でした。つまりゼロ戦とともに世界最先端の日本の技術の結晶でした。当時、英米が保有していた戦艦は満載排水量が概ね5万トン前後ですから、大和は群を抜いて巨大でした。
日本が降伏調印を行った『ミズーリ』は5万3千トン。『ミズーリ』が調印の場に選ばれたのは当時の大統領の出身州であったためです。

日本・米国間で戦争の危機が迫るとき、大英帝国がインド以東(インド、マレーシア、シンガポール、香港等の英植民地)防衛の切り札として派遣したのは、1941年1月19日に就役したばかりの(大英帝国の後継者、つまり英国皇太子の称号を戴く)最新鋭戦艦 『Prince of Wales(英国王名が冠せられたKing George 5世級戦艦の2番艦。満載排水量4万3千トン)』と航海途中で座礁した空母『Indomitable』でした。大英帝国東洋艦隊に『Prince of Wales』のような最新鋭戦艦が配備されたのは英国史上初めてであり、それだけイギリスの危機感が大きかったという証でしょう。

大東亜戦争劈頭1941年12月10日、マレー沖で戦艦『Prince of Wales』と僚艦の巡洋戦艦『Repulse』が日本海軍の一式陸攻による魚雷攻撃で”沈没”したとの報告を受けたイギリス宰相チャーチルは自室に戻り涙を流したと伝えられています。

戦艦は、大東亜戦争が始まるまで各国海軍の主力艦であり国力の象徴でもあり、戦艦の存在そのものが国の覇権を表していたと言っても決して過言ではありません。

それ故、1886年、清国はドイツで建艦された清国北洋艦隊旗艦の『定遠』と僚艦『鎮遠』を示威のため日本に派遣しています。若き日の東郷元帥は両艦の乗組員の士気の低さに安堵したと伝えられています。

1900年代初頭、英国は当時の常識を超える『Dreadnought』型戦艦を建造し他の戦艦を一挙に旧式艦に追いやりました。以降、Dreadnought型を『弩級戦艦』、それを越えるものを『超弩級(Super Dreadnought)戦艦』と呼びました。

第一次世界大戦を経て日・英・米は建艦競争に財政が追いつかずワシントン条約で各国の艦隊保有量が制限され(5 : 5 : 3)競争に一応終わりが訪れました。建造中の戦艦の廃止を求められたことにより日本は戦艦を空母へ転換し真珠湾攻撃の「加賀」等が建造されました。

大東亜戦争開始当時は、日・英・米・独各国とも海軍の主力は戦艦でした。『Prince of Wales』は東洋へ派遣される前、独戦艦『Bismarck』と戦い砲弾を受け戦場から退避しています。この時、僚艦『Hood』は『Bismarck』の放った砲弾を受け轟沈(瞬時に沈没)しました。

マレー沖海戦で英国の誇る2隻の戦艦・巡洋戦艦が航空機により一挙に葬り去られたことにより、海戦の主役は戦艦から空母に一夜にして変わり、世界最大の戦艦『大和・武蔵』を建造した日本が戦艦を「役立たずの時代遅れ」に追いやったのは歴史の皮肉でしょうか。山本五十六(当時)大将ですら、マレー沖開戦前、“『Prince of Wales』は(撃沈は出来ず)せいぜい大破だろう”と言っていた位です。

空母の有用性に直ちに着眼したのが、真珠湾が攻撃された後28人を飛び越し(少将から中将を超え大将に一挙に昇格)太平洋方面司令官(太平洋方面米海・陸軍の最高指揮官)に任ぜられたニミッツ提督です。

ニミッツ提督は、海軍士官候補生時代に遠洋航海で日本を訪れ、ある立食パーティで日本海海戦を完全勝利に導いた東郷元帥と歓談したことを生涯の誇りとし、『いつかは東郷元帥のように戦いたいと願った』と言われています。

日本が戦いに敗れ、国土や文化・精神が荒廃し、日本海海戦時東郷提督座乗の戦艦三笠はその身をキャバレーに貶められていました。この事を知ったニミッツ提督は、米海軍士官学校教授との共著『ニミッツの太平洋海戦史』の日本版印税を全額献金し『三笠』の窮状を救った1人であり、日本が失った誇りや名誉を極めて大切にしていた軍人でもあります。

閣議決定され『大東亜戦争』という名称を連合国が使用した『太平洋戦争(Pacific ocean theater)』と呼ばせたのはマッカーサーですが、自分達の言葉を忘れた(つまり文化を失った)日本人は、朴大統領に『歴史認識のない国』と言われても仕方ないか・・・!!!
  大東亜戦争:1945年(昭和20年)12月15日、SCAP(連合国最高司令官)は、日本政府に対
        する覚書を発し、『大東亜戦争』等の言葉の使用を公文書において禁止すること
        が指令された。

戦争中は軍神の母と持ち上げ、敗戦後は侮蔑の対象となり困窮を極め「せめて行男の墓を作りたい」との遺言を残し小学校用務員で亡くなられた関大尉の母上を排斥した人々とシールズのメンバーが何となく重なって見えるのは私の妄想でしょう。敗戦後の日本人は、国家のために戦った人のお墓さえ作らせなかったのです。

『お国ために何かやらせろという無益な空気に流されて出撃、撃沈した』とも某経済評論家は書いていますが全く頂けませんな。

大和を旗艦とする第2艦隊に沖縄への出撃命令が発令された時、第2艦隊司令長官伊藤整一中将は(作戦に)強く反対しています。当然、軍令部と艦隊司令部の間には多くのやり取りがあり、最後には『1億総特攻の魁となってくれ』との説得に提督はそれ以上意見を言わず黙って従ったと言われています。航空護衛のない大和は米軍機の猛攻撃により沈没しますが、伊藤提督は艦長有賀幸作(当時大佐、後に中将)に『総員退艦』を命じて自らは長官室へ消えて行き、艦長も大和と運命を共にしました。

戦艦を動かす燃料も無いまま敗戦となり、『大和』が米軍に接収されていたら、今頃は米国の何れかの都市で「さらし者」になっていたのでしょうか?

大和は3千名の乗組員の命とともに自らの名誉を海底に沈めたといえば誹りを招くのでしょう。展示品のような無残な大和の姿がもしあれば、『宇宙戦艦ヤマト』は生まれていなかったと思います。世界の海軍で、三大海軍兵学校とは『江田島、アナポリス、ダートマス』と言われた誇りを大和は最後まで守り抜いたと思っています。

最後に、『撃沈とは、(敵の艦船を攻撃し)沈没させること』であり、『大和は沈没した』。せいぜい『撃沈された』と書くべきでしょう。この言葉は、戦後で誤用されることが多いようです。

(軍艦は大きさにより、駆逐艦(Destroyer)→巡洋艦(Cruiser)→戦艦(Battleship)と大きく分けられます。大きさ(重量)で言えば空母は戦艦と同程度の大きさとなります。日本は軍隊がないので護衛艦と呼んでいますが、護衛艦も駆逐艦クラスから軽空母クラス(24DDH)まであり、『いずも』をヘリ搭載護衛艦と呼ぶかヘリ空母と呼ぶかは『お国の事情』でしょう。

Old fogy (元2等海尉)

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FD

確かに日本だけが古めかしい考えだった訳ではなく、
日本海軍が空母機動部隊の威力を世界に知らしめてしまった事と
殆どの戦艦を沈められた米国は、空母を主体として戦うしか
道がなかったと言う事でしょうね。


by FD (2015-11-23 09:18) 

無責任一代男

日本に空母と零戦がなかったら太平洋戦争はしてなかったはずですが、過去の事を「もし~なら」というのは創造性がない。しかしながらアメリカと空母対決をしたただ一つの国であった事は誇りに思います。
空母で空母は沈められないので航空機使う。その確かな操縦技術は今も受け継がれていると信じます。これもまた私たちの誇り。
戦艦大和は過去の遺物ではあるけど、宇宙戦艦ヤマトは創造力豊かにしてくれる大好きなアニメです。
by 無責任一代男 (2015-11-23 12:00) 

Oldfogy

残念?ながら、Prince of WalestoとRepulseを撃沈したのは空母艦載機ではありません。

美幌・元山・鹿屋からサイゴンに進出していた航空隊と当地に駐留していた海軍航空隊(つまり陸上基地)の九六陸攻と一式陸攻です。

この海戦が証明したのは、当時の常識であった『作戦行動中の戦艦を航空機のみでは沈められない』の事実を覆したことです。

以後、各国海軍は航空護衛のない水上艦隊のみの作戦を控えるようになり、遠距離への出撃時には空母を伴うようになりました。

しかし、第2次世界大戦を通して、航空攻撃のみにより撃沈された戦艦はPrince of Wales、Repulseと大和・武蔵のみであるのもまた事実です。これらのケースは沈没した艦艇は自軍による航空援護がゼロという特殊なケースです。

高名な歴史学者トインビーは『この海戦は世界の非西洋国民に西洋は無敵ではないことを決定的にしめした』と述べています。
by Oldfogy (2015-11-23 14:02) 

FD

中学生の頃の愛読書?が『丸』でしたので、英国が誇る戦艦を撃沈したのは
中攻(と言いましたよね)だった事は知っていましたが、鈍重な中攻
を撃退できなかったのですから、当時の対空砲火はたいしたことなかった
のでしょう。確かポンポン砲と言ったような。

米国最後の戦艦「アイオワ級」が就役したのが昭和18~19年に
かけてですので、大和・武蔵より後ですね。
日本は戦艦に見切りをつけて、信濃は空母になりました。

by FD (2015-11-23 21:41) 

無責任一代男

両機長はとても仲良いんですねうらやましい。
FD機長はPPKで去っていくのが理想と言われますが、そうならないように病院に友達をいっぱい作って憩いの場として利用してください。私はおかげさんでいつ行っても全員集まって来て大歓迎されてます。また来いよって言われるけど複雑な気分。
先日の阿藤快さんと同じ状態になった者として言える事は、あの時気がつかなかったら今頃は間違いなくこの世にいなかったから、飛行機と同じで小さな変化に敏感になる事が命を助けるのは間違いないです。
いつまでもお元気でお過ごしください。

by 無責任一代男 (2015-11-24 19:33) 

Oldfogy

一代男さん、あなた様も元気で何時までもコメントを頂けたらと思います。
by Oldfogy (2015-11-25 15:06) 

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