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横浜日記 (7) 消えゆく伝統・船大工(2008.11)

横浜日記は、Pilotの定年を迎え、地上のスタッフとして仙台から東京の本社に転勤後、仙台に居る若い人たちに送った日記風の書き物です。整理していましたが、私のとって捨てがたい「横浜日記」に転載してみました。

横浜日記:7

 落語に必要なキャラクターは『長屋の大家さんに・(店子の)大工の熊さん・そして口うるさいオカミサン』ですよね。大工にも色々あります。家を作る大工さん。神社仏閣を作るのは宮大工。船を造るのが船大工です。家庭

用品や作業道具を売っている大きなホームセンターに「ダイクマ」ってありますが、「大工の熊さん」から取ったと聞いたことがありますが、真偽の程はわかりません(注:ダイクマは吸収され現在はありません)。

 私のカミさんのお父さん(マ、義父ですな!)は船大工でした(お義兄さんも)。千葉県の館山で小さな漁船から外洋に出る大型の漁船を作っていました。船大工が作る船は木造船です。しかし、今は漁船も含めすべてプラ

スチックになってしまい船大工は消えてしまいました。お兄さんは仕方なく転職し蒲田の近くで中華屋の主人でした。義父は仕事中に上から人が(足を滑らせて)落ちてきて大怪我を負いそれがもとでカミさんが中学生の時に亡くなり、私は会ったことがありません。
 
 先日、AERAを読んでいて、『船大工が消えていく=最後の“木造”掃海艇進水』という記事が目にとまりました。「掃海艇」とは海中に仕掛けられた機雷(=船が近くを通過すると船の“磁気”を感知し爆発する。

簡単に言うと海中の“極端にデカイ”地雷かな)を取り除く=つまり海の掃除 “掃海”=ことを任務とする船です。
1990年にイラクがクウートに侵入したことにより始まった湾岸戦争では、アメリカから協力を求められた橋本内閣

は“米軍の物資輸送のための船の派遣”や「国連協力法」を提出しましたが、船の派遣は海員組合の反対,
国連協力法は自民党左派と野党の反対で廃案になり有効な手立てが打てませんでした。

最後に日本人1人当たり(赤ん坊も含めてですよ!)約1万円(合計1兆2千億円)の臨時増税をしてアメリカに戦費を渡し『貢献』しました。この時、多数の日本人が「人間の盾」としてイラクに抑留されました。邦人救援機を、

やはりN社乗員組合の反対で出せない日本を助けるためトルコ航空が救援機を派遣してくれました。私は「ジャンボを貸してくれれば何時でも行く」と弊社重役に言ったのですが「笑われた」だけ。私はトルコ航空並びに救援機の乗員一同には生涯感謝の念を無くすことはありません。

しかし、『金だけだして血を流さない日本』と非難を浴びたため、湾岸戦争終了後、政府はイラクがペルシャ湾に敷設した機雷を除去するため、海上自衛隊の掃海部隊(旗艦・掃海艇4隻・補給艦1隻の合計6隻。指揮官落合タオサ1等海佐以下510名)を派遣しました。

掃海艇は港湾の近くや・沿岸での掃海が目的であり、遠洋を長期間航海するようには作られてはいません。総トン数500トン位の軍艦としてはチッポケな船です。
  
4月26日に横須賀を出港し途中、補給のため5箇所に寄港し5月27日、1か月かけて目的地に入港しました。延々7000マイル(1万3千キロ)の行程は困難を極めたそうです。海中に沈められている機雷は、艦船の磁気に感応し爆発するため「鉄」で作ってはいけないのです。掃海作業中自分が爆発してしまいます。世界の掃海艇は全てプラスチック製ですが日本だけは現在でも木造です。
  
「たかしま」と命名された最後の木造掃海艇を作ったのがユニバーサル造船(旧日立造船)の船大工達です。昨年5月の起工以来約60人(70歳台を含め平均年齢55歳)がカンナ・ノコギリ・ノミだけで作りあげました。木からノコギリで板にし、それを曲げ、張り合わせて船をつくるそうです。

釘を殆ど使わないとか・水が1滴も浸みこまないようにするには大変な技術がいるとのこと。船大工の棟梁(会社では作業長と呼ばれていますがカッコ悪い!やはり“親方”や“棟梁”でなけりゃ!!!)が起工にあたり皆に「俺たち最後の船だ。カッコ良く・バッチリきめよう」と言ったそうです。

大型の木造船(ヨットも木造船ですが大きさが全く違います)を作れる技術は世界でもユニバーサル造船所にしかなく、この『たかしま』は日本最後の木造掃海艇であるとともに世界最後の大型木造船となりました。

日本の伝統技術がまた1つ姿を消して行きます。金融危機が叫ばれ、投機による金儲けより物作りが叫ばれていますが、とても “寂しいし・悲しい” と思いました。船大工の道具は材木の大きさや作り上げる形体=曲線が多い=に合わせてノコギリ・ノミ・カンナ等何十種類も持っていなくてはならず、妻も家にあった “お父さんの道具箱” が懐かしいと言っています。

 ペルシャ湾に派遣された海上自衛隊掃海部隊の指揮官・落合1等海佐は、大東亜戦争(所謂太平洋戦争)で最後の地上戦となり人類史上まれに見る悲惨な戦闘となった沖縄地上戦(日本軍13万人・アメリカ軍総兵力55

万人、うち上陸部隊18万人が戦った。戦死行方不明合わせて日本側=“9万人の住民を含め”19万人。米軍側=1万3千人)での海軍部隊司令官大田中将の3男です。大田中将は海軍地上部隊(米軍でいう海兵隊です)

最後の出撃の前、海軍省あてに『・・・・・(略)沖縄県民斯ク戦ヘリ県民ニ対シ後世特別の御高配ヲ賜ランコトヲ願ウ」という有名な電報を打ちその後自決しました。連合軍は、上陸前2000機の航空機と艦船からの徹底した砲爆撃の後1945年4月1日沖縄に上陸。戦闘は2か月半にわたり続きました(上の死者の数はたった2か月ですよ!)。

 アメリカが日本に対して原爆使用の決定をした理由の1つに、沖縄地上戦での膨大な死傷者(米軍の日本軍に対する評価は「日本軍歩兵部隊の戦は、歩兵戦の鑑」であったというものです)を考えれば、次に予定されて

いる、日本本土での地上戦に移れば連合軍側死傷者は100万人に達するとの予測から、本土上陸をせず日本を降伏させるため使ったとも言われています。それでも原爆の使用は人類に対する国家犯罪だと思っています。

もし、当時の日本陸軍が考えていた「本土決戦」が行われていたら、私たちの祖父・親・兄弟の悲惨さは言語を絶するものとなっていたでしょう。北海道にはソ連軍が上陸し、北海道は「北日本」となり今の日本は確実に無かったかもしれません。

朝鮮半島の現在を見れば容易に推測可能です。本土の盾となった沖縄の人達に私たちは今何を報いているでしょうか?沖縄は日本で一番失業率と自殺率が高い県なのです。

これから後は、今日の追加です。

しかし、普天間を閉鎖・移設は早急に行われなければならないと考えています。普天間を実際にみれば直ぐに解ることです。左派が、反対しているのは『反対のための反対』でしょう。

しかし、本州でも基地を受け入れましょう。厚木にオスプレイ配備、大賛成です。

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コメント 4

無責任一代男

串本沖で難破したトルコ海軍乗務員たちを命がけで救助した串本の人たちの恩をトルコはずっと忘れてはいなかった。
ちょうど今その物語の映画が上映中です。
海難1890
http://www.kainan1890.jp/
oldfory機長が志願されたとは嬉しく思います。政府専用機も救出派遣しなかった日本。トルコ航空には感動します。
世界最高水準を行く機雷掃海作業は鉄を使った船では出来ない作業で木造船が必要、その技術者がいなくなってきた日本はこれからどうなっていくのでしょう。
下地島空港を自衛隊と米軍に提供するのを提案したいくらいです。
by 無責任一代男 (2015-12-19 16:12) 

Oldfogy

日本人救出に赴いたトルコ航空機は、エルトゥールル号遭難時の日本(人)の行動を忘れなかった(当時の)首相の命令で、自国民より優先して日本人救出に赴きました。

勿論、救出機のCrewは全員志願です。私は、そのとき以来、絶対的なトルコ贔屓です。

私は『海難1890』は未だ観ていませんが必ず観にいきます。ハンカチを沢山持って。

左巻きの連中は、『平和のため』と称して自国民を見捨てる輩(卑怯な人種)です。それが証拠に北朝鮮に誘拐された人々を救おうとはしません。

社会党の土井は『北朝鮮が拉致なぞする筈がない』と言っていたのですから。
by Oldfogy (2015-12-19 17:31) 

皮算用

現在普天間で働いている人が、勤務地が辺野古に変わると引っ越しを強いられます。
地元の方々の多くは、普天間の移設を望んでいないのでは・・・ と、思いますね
by 皮算用 (2015-12-20 12:24) 

oldfogy

でも、アソコは本当に危ないです!那覇の出発・進入にも極めて危険です。


by oldfogy (2015-12-20 16:28) 

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