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横浜日記 (9) 「ある政治家の生涯」


1963年初頭、イギリス国内はあるスパイ事件が持ち上がり国を挙げての大騒動になりました。

当時、英国国防大臣 (Secretary of State for War)であったLord John Profumo(Lordは英国で使用され、英国以外ではBaronと称されます。つまり男爵)と一時愛人関係にあったのが高級娼婦であるChristine Keeler嬢でした。

愛人関係は1961年に始まりましたが、かの有名なイギリスMI5(イギリスの情報機関。ちなみに“007のJames Bond氏!”はMI6)の知るところとなり強制的に関係を終わらせられたのです。

その後、’62年にC. Keeler 嬢が暴力事件に巻き込まれプロヒューモ氏との関係がマスコミの知るところとなりましたが、英国マスコミの「政治家のPrivate lifeは書かない」の伝統が守られ明るみに出ることにはなりませんでした。

この問題を影で調べていた野党が Keeler 嬢と関係を持っていた男性にロンドン大使館付き駐在海軍武官がいることを知り、一挙に『第2次大戦後最大のスパイ事件(所謂、プロヒューモ事件)』となってしまいました。
つまり、『Keeler 嬢を通して『イギリス国防秘密がソ連に漏れていたのではないか?』と言うことです。

スパイ 事件そのものは結局無かったのですが、当初プロヒュウーモ氏が議会でキーラー嬢との関係について『無かった』と虚偽の証言し関係を認めませんでした。

卿はその後、『議会で嘘の証言をした』ことを理由に国防大臣はもとより政治家としての生涯を終えることになりました。卿48歳の出来事です。この事件が原因となりマクミラン保守党は政権を労働党に明け渡しウイルソン政権が発足します。

プロヒューモ氏は2006年3月7日、91歳の生涯を閉じました。

氏は政界引退後ロンドン・イースト・エンドの難民センターで皿洗い・トイレ掃除から始め、卿の貴族としての豊富な人脈を元に無償の社会奉仕活動を一涯続け、1975年名誉が回復され、CBE(名誉英国勲章第3位)を授けられました。

元英国首相マーガレット・サッチヤーさんの女王主催の誕生日パーティに卿を招待し、彼女の隣席に座る栄誉で卿の生き方を讃え彼の生涯の努力に応えました。

彼の死去に際して、当時のブレア首相は『彼はかつて大きな過ちを犯した。しかし、償って余りある功績を残した。もう許されるべきだ。」とのコメントを発表しました。

卿の妻は美人で有名な女優でしたが、彼女もその生涯を奉仕活動に捧げたそうです。ここに英国貴族の『ノブレス・オブリージェ(Noblesse oblige)』の典型を見た気がします。

(おまけ)
サッチャーさん(Margaret Thatcher, Baroness)には大きな思い出があります。

彼女が首相を退いた後のある時期に日本へ講演旅行にいらっしゃいました。サッチャーさんが搭乗されたのがANA201 (LHR – NRT) 便です。機長は私!ロンドン到着時のゲートに旅客係員が来て、『Captainの帰り便にはサッチャーさんが搭乗されます』と事前のInformation をくれました。

応対に失礼があればANAの名誉に係るので、現地OFFの翌日、日本大使館に伺い 『もし機内で搭乗お礼の御挨拶に伺うとしたら、どう呼びかければ良いのか』と尋ねました。『彼女は貴族に列せられているので、 “Lady” を使うのが良いでしょう』と教わりました。
 
搭乗当日、偶然か/ANAが意図してそうしたのかは解りませんがFirst classは、サッチャーさん、女性秘書、男性ボディイ・ガードの3人だけでした。

他のお客様もいないので離陸2時間後の最初のRest timeに挨拶に伺いました。

昨夜寝ないで?考え、何回も練習して記憶したご挨拶をかなり上手く喋る事ができたと思っています。彼女は、演説の原稿でしょうか、書類に盛んに書き込みを入れていらっしゃったので、

"Excuse me, Lady Thatcher, I am a commander of this flight, may I disturb you for very short time? で始まり、On behalf of whole entire crew member and employees of ANA, we are very proud of your boarding to ANA 以下云々~" のような感じです。

最後に『「十分にお寛ぎ頂ける様願っています』で締めくくりましたが、その返答に圧倒されました!

“Thank you Captain, yes I shall!” でした。”I shall” と言われた時に英語(イギリス語!)だ~!と感動しました。そして元首相から握手を受け、失礼にならない程度の力で握手をお返ししましたが、年齢を全く感じさせないマシュマロのような「柔らかない」手で驚いた覚えがあります。

 サッチャーさんは、功罪の評価が極端に分かれる宰相で、アルゼンチンがフォークランド島に侵入して始まったフォークランド戦争を『人命に変えてでも、我が英国領土を守らなければならない』と演説し即時に陸空海軍を派

遣し勝利に導いたこと(この時、兵士を輸送した船は政府にチャーターされたQueen Elizabeth)、またイギリス経済を未曽有の繁栄に導いた反面、弱者には厳しい政策でした。断固たる信念が「鉄の女」と呼ばれた所以です。

サッチャーさんの演説集からの抜粋です:

“Where there is discord, may we bring harmony.Where there is error, may we bring faith. And where there is despair, may we bring hope.

(discord:不協和、 harmony の反意語。 despair: 絶望)。

横浜日記 (7) 消えゆく伝統・船大工(2008.11)

横浜日記は、Pilotの定年を迎え、地上のスタッフとして仙台から東京の本社に転勤後、仙台に居る若い人たちに送った日記風の書き物です。整理していましたが、私のとって捨てがたい「横浜日記」に転載してみました。

横浜日記:7

 落語に必要なキャラクターは『長屋の大家さんに・(店子の)大工の熊さん・そして口うるさいオカミサン』ですよね。大工にも色々あります。家を作る大工さん。神社仏閣を作るのは宮大工。船を造るのが船大工です。家庭

用品や作業道具を売っている大きなホームセンターに「ダイクマ」ってありますが、「大工の熊さん」から取ったと聞いたことがありますが、真偽の程はわかりません(注:ダイクマは吸収され現在はありません)。

 私のカミさんのお父さん(マ、義父ですな!)は船大工でした(お義兄さんも)。千葉県の館山で小さな漁船から外洋に出る大型の漁船を作っていました。船大工が作る船は木造船です。しかし、今は漁船も含めすべてプラ

スチックになってしまい船大工は消えてしまいました。お兄さんは仕方なく転職し蒲田の近くで中華屋の主人でした。義父は仕事中に上から人が(足を滑らせて)落ちてきて大怪我を負いそれがもとでカミさんが中学生の時に亡くなり、私は会ったことがありません。
 
 先日、AERAを読んでいて、『船大工が消えていく=最後の“木造”掃海艇進水』という記事が目にとまりました。「掃海艇」とは海中に仕掛けられた機雷(=船が近くを通過すると船の“磁気”を感知し爆発する。

簡単に言うと海中の“極端にデカイ”地雷かな)を取り除く=つまり海の掃除 “掃海”=ことを任務とする船です。
1990年にイラクがクウートに侵入したことにより始まった湾岸戦争では、アメリカから協力を求められた橋本内閣

は“米軍の物資輸送のための船の派遣”や「国連協力法」を提出しましたが、船の派遣は海員組合の反対,
国連協力法は自民党左派と野党の反対で廃案になり有効な手立てが打てませんでした。

最後に日本人1人当たり(赤ん坊も含めてですよ!)約1万円(合計1兆2千億円)の臨時増税をしてアメリカに戦費を渡し『貢献』しました。この時、多数の日本人が「人間の盾」としてイラクに抑留されました。邦人救援機を、

やはりN社乗員組合の反対で出せない日本を助けるためトルコ航空が救援機を派遣してくれました。私は「ジャンボを貸してくれれば何時でも行く」と弊社重役に言ったのですが「笑われた」だけ。私はトルコ航空並びに救援機の乗員一同には生涯感謝の念を無くすことはありません。

しかし、『金だけだして血を流さない日本』と非難を浴びたため、湾岸戦争終了後、政府はイラクがペルシャ湾に敷設した機雷を除去するため、海上自衛隊の掃海部隊(旗艦・掃海艇4隻・補給艦1隻の合計6隻。指揮官落合タオサ1等海佐以下510名)を派遣しました。

掃海艇は港湾の近くや・沿岸での掃海が目的であり、遠洋を長期間航海するようには作られてはいません。総トン数500トン位の軍艦としてはチッポケな船です。
  
4月26日に横須賀を出港し途中、補給のため5箇所に寄港し5月27日、1か月かけて目的地に入港しました。延々7000マイル(1万3千キロ)の行程は困難を極めたそうです。海中に沈められている機雷は、艦船の磁気に感応し爆発するため「鉄」で作ってはいけないのです。掃海作業中自分が爆発してしまいます。世界の掃海艇は全てプラスチック製ですが日本だけは現在でも木造です。
  
「たかしま」と命名された最後の木造掃海艇を作ったのがユニバーサル造船(旧日立造船)の船大工達です。昨年5月の起工以来約60人(70歳台を含め平均年齢55歳)がカンナ・ノコギリ・ノミだけで作りあげました。木からノコギリで板にし、それを曲げ、張り合わせて船をつくるそうです。

釘を殆ど使わないとか・水が1滴も浸みこまないようにするには大変な技術がいるとのこと。船大工の棟梁(会社では作業長と呼ばれていますがカッコ悪い!やはり“親方”や“棟梁”でなけりゃ!!!)が起工にあたり皆に「俺たち最後の船だ。カッコ良く・バッチリきめよう」と言ったそうです。

大型の木造船(ヨットも木造船ですが大きさが全く違います)を作れる技術は世界でもユニバーサル造船所にしかなく、この『たかしま』は日本最後の木造掃海艇であるとともに世界最後の大型木造船となりました。

日本の伝統技術がまた1つ姿を消して行きます。金融危機が叫ばれ、投機による金儲けより物作りが叫ばれていますが、とても “寂しいし・悲しい” と思いました。船大工の道具は材木の大きさや作り上げる形体=曲線が多い=に合わせてノコギリ・ノミ・カンナ等何十種類も持っていなくてはならず、妻も家にあった “お父さんの道具箱” が懐かしいと言っています。

 ペルシャ湾に派遣された海上自衛隊掃海部隊の指揮官・落合1等海佐は、大東亜戦争(所謂太平洋戦争)で最後の地上戦となり人類史上まれに見る悲惨な戦闘となった沖縄地上戦(日本軍13万人・アメリカ軍総兵力55

万人、うち上陸部隊18万人が戦った。戦死行方不明合わせて日本側=“9万人の住民を含め”19万人。米軍側=1万3千人)での海軍部隊司令官大田中将の3男です。大田中将は海軍地上部隊(米軍でいう海兵隊です)

最後の出撃の前、海軍省あてに『・・・・・(略)沖縄県民斯ク戦ヘリ県民ニ対シ後世特別の御高配ヲ賜ランコトヲ願ウ」という有名な電報を打ちその後自決しました。連合軍は、上陸前2000機の航空機と艦船からの徹底した砲爆撃の後1945年4月1日沖縄に上陸。戦闘は2か月半にわたり続きました(上の死者の数はたった2か月ですよ!)。

 アメリカが日本に対して原爆使用の決定をした理由の1つに、沖縄地上戦での膨大な死傷者(米軍の日本軍に対する評価は「日本軍歩兵部隊の戦は、歩兵戦の鑑」であったというものです)を考えれば、次に予定されて

いる、日本本土での地上戦に移れば連合軍側死傷者は100万人に達するとの予測から、本土上陸をせず日本を降伏させるため使ったとも言われています。それでも原爆の使用は人類に対する国家犯罪だと思っています。

もし、当時の日本陸軍が考えていた「本土決戦」が行われていたら、私たちの祖父・親・兄弟の悲惨さは言語を絶するものとなっていたでしょう。北海道にはソ連軍が上陸し、北海道は「北日本」となり今の日本は確実に無かったかもしれません。

朝鮮半島の現在を見れば容易に推測可能です。本土の盾となった沖縄の人達に私たちは今何を報いているでしょうか?沖縄は日本で一番失業率と自殺率が高い県なのです。

これから後は、今日の追加です。

しかし、普天間を閉鎖・移設は早急に行われなければならないと考えています。普天間を実際にみれば直ぐに解ることです。左派が、反対しているのは『反対のための反対』でしょう。

しかし、本州でも基地を受け入れましょう。厚木にオスプレイ配備、大賛成です。

訂正-MRJ

先日、MRJ は RNP AR approach が出来ないと書いたのは誤りでした。訂正します。ごめんなさい!

MRJ に は、(私も)日本の航空界のOBの一員として当然大きな期待をかけています。

調べるうちに、

・MRJ は Auto pilot systemは2系統装備される
・FMSはR & Collinsであり、Pro line 21 の計器表示System と組み合わされる

である事が解りました。ただ、Pro line 21と組み合わされるFMSはCRJ等に搭載されているFMSとは異なる型式(所謂、Business jet用)であるのが少し気がかりではあります。

RNP AR approacは、『(水平=Lateralと、垂直=Verticalの両Maneuverが組み合わされた進入方式であり、かつCurved approachが可能となります。代表例が熊本空港の東側(阿蘇山のふもと)からの曲線Baro-VNAV進入』です。

RNP AR approach は、FAAではSAAAR(Special Aircraft and Aircrew Authorization Required) と呼んでいましたが、ICAOの呼称であるRNP ARに変更されました。

つまり、RNP AR approachを行うには、航空機がRNP ARに適合することが求められています。

簡単に紹介すれば、RNP AR approach(RNP値0.3未満)に必要な航空機の要件は、

・2式のGNSS(GPS) sensor
・2式のFMS
・2式のAir Data System
・2式のAuto Pilot
・1式のIRU

となっています。

MRJはOptionを含んでこれらの機器は搭載されるので、規定された飛行性能(例えば、飛行時間の95%内で飛行誤差が0.3NMまたは未満を満足する等、FAA AC90-101A)を満足すれば機体要件としては運航可能となります。

ただ、Optionで機器を追加すれば当然機体取得費用は増加するのでOperatorがOption選択を行うか否かによりAR approachが ”出来る/出来ない” と言うことになります。

また、Aircrew authorization required なのでエアラインは、

『 航空機乗組員に対し RNP AR APCH 航行の初期訓練及び資格付与を行わなければならない。RNP AR APCH 航行の初期訓練において、操縦者が RNP AR APCH 航行を正確に理解し、実施できることを評価する

ための基準及び定期訓練において操縦者がRNP AR APCH 航行に係る知識及び技量維持の適切性を評価するための基準を設けなければならない。』とされています。

数年前までは、ILS等の精密進入が設定できなかった滑走路には非精密進入か目視進入しか出来ませんでしたが、近年、RNP ARは数多く導入が進んでいますが、航空機が追いついていません。

私の知る限りでRNP AR approachが実施可能は機体は現在B787とB737-800と理解しています。B777は?RNP ARはILSが設置できない滑走路への計器進入としても最も進んだ進入方式である=安全な進入が可能

となる=ので、MRJでもこの進入が一般的に可能となるよう期待しています。

MRJ は、2014年8月以来、1機も受注できない中、(初期投資の)赤字がドンドン膨らみ1,000億の資本も早晩増資が不可避(債務超過を避けるため)と言われています。トヨタも株主であるので安心はしていますが、初飛

行で大騒ぎするのも結構ですが、厳しい現実もキチンと報道して欲しいと思っています。

翔べ、若者よ!

今年は、将来のAirline pilotを目指す若人と訓練飛行を楽しく(学生は???)行いました。

最近、

『新興国の経済成長で海外渡航者が増えるなど、航空市場は大きく変化。航空需要拡大で、パイロット不足が世界的問題となった。航空業界の危機的状況を受け、国交省は2013年12月に「乗員政策等検討合同小委

員会」を設置した。大学教授などを中心とした有識者からは、航空会社の自社養成と、私大だけでなく国公立大学でもパイロットを養成すべきだという意見が出た。パイロットを増やすには育成機関を増やすことが最善の策と

なる。T大学工学部航空宇宙学科航空操縦学専攻のS教授は、「定員は50人だが、設立以来、満たしたことはない」と話す。欠員は航空操縦学専攻の喫緊の課題だ。

パイロットは人気の職業。航空操縦学専攻も毎年120人以上の応募があり、平均の倍率は約3倍だ。しかし、パイロットに求められる学力や資質などを勘案してふるいに掛けると、結果的に定員に満たない状態が続いてい

る。欠員の最も大きな要因は高額な学費だ。航空操縦学専攻は約1年半の米国留学も含め、4年間の学費が1600万円ほど掛かる。』

との記事を読みました。

有識者殿のご高説には辟易とします。航空大学校があるのに更に国公立大学で操縦課程の設立ですか?
こんな、アホらしい議論に税金が使われている事に怒りすら感じます。

4年生大学では既に5校(東海・法政・帝京・桜美林・崇城)が操縦課程を設けています。これらの大学の定員合計が何人になるかは調べていませんが、上記T大学の定員が50人ですから、『5校+航空大学校+数多くある

操縦専門学校・機関』を合わせれば既に十分でしょう(年間養成数は軽く200人を超える?)。

Pilot養成の最大の課題は、資格取得に掛かる費用であることは明白です。年間、約400万円の学費(に加えてバイトは物理的にできないので生活費が加わります)を出せる家庭はごく・ごく限られています。

かつて、私が担当した限定変更訓練の教え子の1人は、飛行機が飛ぶのを見てPilotになろうと決心し、自動車工場で働き生活費を最大限切り詰めて貯金し、海外で資格を取得しRegional airlineに入社し今はLCCの副操

縦士として活躍しています。

自動車工場での労働は大変厳しかったと言っていました。親からお金を出して貰う事だけでなく、ローンを活用してPilotになった若者も数多く居ます。極論すれば、Pilotになろうという熱意の有無だと思っています。

JALは奨学金制度を作りました。国も奨学金制度を検討しているということですが、Pilot養成のためだけの奨学金は税金の公平な使途としては疑問が出ると考えます。

勿論、(返済方法を含めて納得できる)国の奨学金制度が出来れば極めて喜ばしいと思っています。

私がPilotとしての第1歩を踏み出したのは海上自衛隊です。自衛隊Pilotを選んだ理由は、『親の世話にならず(小学生からの夢であった)Pilotになるには自衛隊しか選択肢がなかった』からです。

           若人達よ、夢を持とうよ!空高く翔んでみないか!

『南(みんなみ)の果て空高く、今日も試練の技学ぶ、わが子の姿思いつつ、遥かに祈る京の里にて』

(多分、下手な歌なのでしょう。鹿児島県鹿屋基地で中級課程の飛行学生であった私の22歳の誕生日に亡き母が葉書に毛筆でしたため送ってくれました。私の宝として胸の中から消えることはありません。自衛隊の厳しい訓練に挫けそうになった時にはこの歌を思い出して頑張ったな~!)

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